ボケていなければなおのこと自分を棚に上げなければ何も言えない。ましてこうボケかかってくると棚に上げてなどといったことも浮かんでいないのかも知れない。
小泉さんのあのまくしたてるような話し方は酷かった。
それまでのはっきりしない、またはっきり言わないのがいいのだといった感じの多くの政治家があまりにも多すぎたものだから、あのまくしたてる言い方に新鮮味を覚えたことは確かである。
その新鮮味は新しい期待へと繋がっていった。
だが国会でのあの品のないものの言い方は次第に疎ましくなっていった。
テレビが日本中の、当然世界にも流れていることなど斟酌のかけらもない感じだった。
郵政問題を選挙の争点にしたがここでも欺瞞にも通じるトリック話法で大声をあげた。「改革を止めるのですか。前進させるのですか」上手い言い方だったし、狡い言い方だったと思う。
日本社会を全体的に見えなかった政治力は今多くの不満を噴出させている。
現在の国会でのやり取りに立派な、また正義が裏付けられているような、またいくつもの中から選択を示すような話し方は見えてこない。
だが福田総理と小澤代表との話し合いには、小泉総理のときのような、ごまかしをまくしたてるような話しのやり取りは見えない。
話の中身もそうだがもっとも前提になる話し方も踏まえないような総理の出番はもう願い下げにして頂きたい。
胡錦濤主席が国内でどのように評価されていようとも、今回の日本訪問で見せている場面や行動からの受け取り方で良いのだという考えでお待ちしていた。
新聞の記事そのものが既に現場の記者の選択によっており、多くの記事をまたデスクの考えで選択されていく。
集会の写真に人が多く映っていたとしてもがらんとした集会場の全体を写せないし、ならばなるべく多く集まっていそうな場所を写すことになるだろう。
つまりは真実を知るなどということがどんなに難しいかということになる。
言うならば胡錦濤主席も福田総理も太かったり細かったりする、まっすぐ伸びていたり曲がったり傷んでいたりするなどの沢山の枝葉を持つ大木になぞらえることが出来るかも知れない。
だからこそお互いの人格を出し合って直接接する人をまたテレビで見る人々をうならせるくらいの人格・人柄・思惟ある様子にこそと注目していた。
だがこうした観点から見れば福田総理の薄っぺらな感じだけが残った。
二人は向かい合って話したときすぐにお互いの度量とか考えの背景の深さとか改めて悟ったに違いない。
二人が出会った時こそ両国民の前に大樹たらんとするところを示さなければならないのに、福田総理にはまたかといった大きな失望感を抱いた。
僅かに中曽根元総理の言に救われた。
会見席上記者やテレビの前で胡錦濤主席の前を僅かに腰をかがめるまでもなく横切った福田総理の失礼に唖然とした。
NHKの毎土曜日昼「笑百科」という番組がある。
司会者の前だろうと同じ出演者の前だろうと敬意を示すように腰をかがめて通る人間の何と少なくなったことか。
これと同じレベルの福田総理の人柄を見た。
日ごろお互いにつまらぬことにも最大限求められている努力の日々であるからこそ、大きく尊重し合い、敬意を払い合い、深い所で労わり合うような姿こそ見たかった。
翻って考えるまでもなく日本の文化が隣国中国のお世話をどんなに頂いたことか。
勿論その国にどんなにひどいことをしたかも忘れない。
その国の代表者がお出でになったのである。
渥美清演じたふうてんの寅さんの「それをいっちゃあおしまいよ」の言葉がふっと思いだされた。
胡錦濤さん。お元気のうちにご活躍下さい。
そしてまた日本に来て下さい。
55年前の世界史と八橋油田と減反
もう55年前にはなるだろう。高1の世界史で教えられたことがいつも頭にある。「外国の米が安いからと言って買い続ける。日本の田圃が減っていく。ある時輸入米が急騰する。しかし日本の田圃は荒れていて以前のようには働かない。そうなれば輸入米がどんなに高騰しても生きていくためには買わなければならない。国内の消費量から見れば国産の石油は確かにあまりにも微量だ。だが日本での掘削力が働いているのとそうでないのとでは大きな違いがある。その力を大きくする機会がある」こういった内容だった。当時もそうだったが、おめでたい?教育学者が、「これからは世界的に考えなければならない。日本のことだけを優先的に考える時代ではない」こんなこと言っていたと思う。当時若さからまともに受け取った考えがあった。「これからは何でもコンピューターで計算出来ないものはない。音楽だって限られた計算の中に入っている。住居にしてもみんなの要望を取り入れていけば全体に向く住居が出来る」こんな内容だったが若かった私には非常に新鮮で魅力的に聞こえた。暫くするとトフラーの話が出てきた。このインチキな学者のような声は聞かれなくなった。世界的にもそういう傾向は見えてきたがそれにしても日本の政治家の資質の急落は嘆かわしい。根本的な原因の一つに「教育」への大変な軽視、間違った考えがあることは否めない。