今から36年前の秋イギリスウィンザー城の前にいた。
これから城内観光だった。
A氏がそばの銀行でドルの両替から戻ってきた。そこへB氏も別の銀行から戻ってきた。何気なく両氏が換金の割合を話し合って結構差があることに気がついた。
この話はすぐにグループ全体へ伝わった。銀行の裁量の違いなのだろうが、日本のどこの銀行も同じ利率に慣らされていた私たちには少なからぬ驚きだった。
ずいぶん後に金融ビッグバンの話が起きた。期待したが空しかった。
サラ金の利息が少し下がったなと思ったら、いつの間にか市中銀行の貸出金利が同程度になっていた。
雀の涙程の利息に止むを得ず貯金しているその金を生活に困る人たちに物凄い倍率で貸すのである。
金持ちは関係ない。収入のさほど高くない人たちの預金した金がサラ金並みの利息で生活に困っている人たちに貸し出されていくのである。
この預金と貸出の金利差を考え、独自に金利を下げて貸し出すような銀行はどこにもない。
本当の政治家はどこにいるのか見えないし、今のようなひどい政治家を常に選んでいる国民だからこうした風潮はまだまだ続くのだろう。
アメリカ国日本州
かなり前に「学士会報」でアメリカでは日本がハワイなどと同じようにアメリカの州同様に考えられているといった資料を目にした。
驚いたわけではない。問題に思ったのはこのような日本へのアメリカサイドの認識の状況を、こうしたことを知っている筈の専門家が口にしないことである。
それが正論だとしても「そんなことを言ったって何になる。一時は格好良いかもしれないが受けるマイナスの方が大きい」という考えが広くしみついているからだ。
日本では一流とされる新聞でさえも、大事なことを繰り返し主張することはない。
そして、何よりも怖いのは、こうした問題を直視するような人間がとても育てられそうもない日本の社会状況にある。
世界の中の日本を考えなければならない、問題は世界的に考えられなければならないといった風潮は、日本国内に多くの大事な問題がありながら、多くの日本人に関わりのなさそうな遠くの国の大したこともないニュースを取り上げるのである。
広く世界に目を向けている姿勢だけは見せておかなければというのである。こうして日本の現実を踏まえその将来を考えてのまともな話が流れない日本が今日も流れている。
ではそういうお前は、今の社会を考えて何かしているのか。小さなことだけどしている。
朝青竜は横綱なんでしょうか。
誰が横綱にしたのでしょうか。
今場所もそうですが、あの勝ちさえすればどうでもいいといった見るからに汚ない感じの相撲の取り方、特に勝った後の様子をまともな考えを持っていると思われる人の目にどう映っているのでしょうか。
人は目にしたものだからこそ思い出せるのです。食べたこともないものの味が思い出せる訳もありません。
特に子どもは朝青竜のこうした姿勢を目にしつつ、横綱とはこういう相撲を取る人なのだと頭に入れていく筈です。
一昔前の横綱の姿が頭にある私には、とくに考えのまだ定まらないような子どもに見せたくない姿なのです。
調べてみると、横綱審議委員会による横綱推薦基準3項目の1番目に「品格、力量が抜群であること」とありますが、横綱審議委員は勿論のこと、こうした問題に近い関係者は日々どういう思いで朝青竜の動きをみているのでしょうか。
この第1条が守られないで国技云々がどうして語られるのでしょうか。
やはり行き着くところは金ですか。
もう一度言いますが、金で子どもの夢を汚れたものにして平気ですか。